直径1メートルでは、墓穴と言うには狭すぎる。
ぼんやりと、鈴仙・優曇華院・イナバはそんなことを考えた。



空が、遠い。
もともとこの竹林では竹の葉が生い茂っており、そうそう空が覗けるものではない。
あちこちで、葉の合間から漏れた光が竹林を切り取るように差し込んでいる。
それをこの永遠亭で暮らし始めの頃はとても神秘的で、物珍しく思えたのだ。
そんな感覚、今となってはもう忘れてしまっていたが。
「………情けないなぁ、本当に……」
深く、溜息を吐く鈴仙。
鈴仙の視線の先には、丸く穿たれて映る空。
いや、それでは少しニュアンスが違うか。
正確には、真っ暗な土の中、丸く覗けた空。
そびえる竹の幹を見ることはできず、空を覆い隠すような葉が見えるばかりである。


簡単にいえば、鈴仙は深い穴の底にいた。
穴の深さは、鈴仙の見たところ2、3メートルと言ったところか。
直径は1メートル。広いとは言えないが鈴仙をすっぽりと容れてしまうほどのスペースはある。
「どうしよう……」
鈴仙は再び溜息を吐く。
本当なら、この程度の穴、飛んで行けば何と言うことも無い。そのはずなのだ。
その身体が、土の中に埋もれて身動きできないという状況でもなければ。



5分前。
わずか5分前までは、鈴仙は地上にてその身体の自由を謳歌していた。
今日は、特に何か特別な日でもない。予兆も何もなかった。
いつものように、鈴仙は師匠と呼び尊敬するところの永琳に薬の材料の採取を命じられた。
特に難しいものでもなかった。
竹林の奥深くだが、今までに何度かその草を採ってきたことはあった。
初めての時はてゐに案内されて、そして2回目からは鈴仙一人で。
鈴仙に何か落ち度があったわけでもない。油断していた、と言われれば否定できないが。
しかし、なぜこの住み慣れてきた竹林の中、常に緊張した状態で過ごさなければならないと言うのか。
だから、多分、これは鈴仙の運が悪かっただけ。


何の変哲もない草むらを歩いていた。
昨日は雨であったから、多少地面の状態は歩きにくかった。
それでも、今日は何となく歩きたい気分だった。
足を地につけると、自分の重みを地面は柔らかく受け止める。
思わず鼻歌が出てしまっていたが、他に誰か見ている者が居るでも無し。
散歩気分で歩いている、その最中。
突然、踏み出した右足にかかる反発が消えた。
ズボリ、と右足は深く深く地面に突き刺さっていく。
油断していた鈴仙はその奇妙な感覚に対して反応することが出来なかった。
あれ、と間の抜けた声をあげて。
鈴仙は、そのまま突然に開いた穴へと落ちて行った。



そうして、今に到る。
落ちた時に一緒に土や泥が流れ込んできて、鈴仙の体はほとんど埋まってしまった。
体をくの字に折り曲げて、穴の底から動くこともできずに上を見上げている。
とっさに向き直り、仰向けになったから頭が出て助かったが、そうしなければ今頃土の中、窒息して苦しい思いをしていただろう。
そんな考えてみても楽しくなんてなりそうもない仮定、いちいち考えようとも思わないが。
今、地面から突き出ているのは鈴仙の頭だけ。
多分、傍から見たら相当に間抜けな状態なんだろうなと考え、鈴仙は少し悲しくなった。
思考が、まとまらない。
埋もれてすぐの頃には必死で抜けだそうとしてみた。
その結果分かったのは、水を含んだ土は想像以上に重いということだけ。
叫んで助けを呼ぼうかとも思ったが、永遠亭から大分離れてしまっている。
ここからいくら大声で叫んだところで、竹林の中に空しく響くだけだろう。
現在、打つ手はなし。
「……もう、いいや。そのうち師匠が帰ってこない私を心配して、探させてくれるでしょうし」
そう考え、鈴仙は現状を打破するための方策を考え出すことを放棄したのが2分前。
ただ暇をつぶすための鈴仙の思考はとりとめもなく巡り移ろい変わっていく。



安らかな死なんてあるはずがない。
死は、いつだって苦痛を伴うものに違いないのだ。
死ぬのが怖くて、怖くて、怖くて、耐えられなくて、
だから、うさぎは逃げ出した。



「………ん?」
ふと、鈴仙が気がつくと、見上げた空は暗くなってしまっていた。
とりとめのないもの思いの中、いつの間にか意識を失ってしまっていたらしい。
もう、夜が来る。
目をこすろうとして、自分の手が埋もれていたことに思い当たる。
自分は、結構のんきな性質なのかもしれない、と鈴仙は思った。
こんな穴の中、出られる見込みもないと言うのに、ずいぶんと熟睡していたようだ。
「助けは……来てないか」
それも仕方がないことなのかもしれない。
この竹林はずいぶんと広大で、探すとなると手間もかかるだろうし。
ルートを知っているはずのてゐなら心配はないのだろうけど。いつになったら来てくれることやら。
助けが来るまで、おとなしく待っていればいい。待っているしかない。
それでも、鈴仙にとっては何もしないでいると言うのがとてつもなく退屈に思えた。



そして、夜が来る。
見上げていた空も今となっては竹の葉との区別もつかぬほどの暗さ。
ただでさえ暗い穴の中は完全に暗闇だ。
それでも、鈴仙にとっては暗闇は恐怖ではない。
基本的に妖怪とは夜行性のものであり、人間に比べても夜目がきくものが多い。
人間が暗闇を恐れるのは妖怪を恐れるのであり、その妖怪にとっては暗闇こそが自分の世界。
自分の住んでいる世界を恐れるものなどいないのだ。
「…………」
見上げた空は暗いのだが、まあ穴の淵との区別がつくくらいには明るかった。
確か、今日は満月の日だったか。輝夜が今日こそはなんたらかんたらと師匠に語っていたのを鈴仙は覚えている。
今夜も今夜でどこぞの蓬莱人と戦いに行くのだろう。日々を徒然と過ごす姫君にとっては唯一の娯楽のようなものだ。
この間など、姫様が誰もいない部屋で一人パンチの素振りをしている姿を目撃してしまった。とりあえず見なかったことにしておいた。
姫様の戦闘スタイルに拳が介入する余地があったかどうかはまあどうでもいい。
その時の輝夜の顔が、とても楽しそうだったのは覚えている。
その時のことを思い出して、素直じゃないなぁ、と少しだけ呆れ、微笑ましい気分になった。
時は過ぎていく。



逃げて、逃げて、逃げて、
一体兎はどこへ逃げると言うのだろう?



月は、見えない。
一体どれほどの時間この穴の中にいるのか見当もつかない。鈴仙はそろそろ動けないことが苦痛になってきた。
夜もすっかり更けてしまっているだろう。ここからでは時間の経過を確かめるものなどないのだが。
退屈だから時間の感覚が狂ってしまっているのだろうか。
とりとめもなかったはずの思考が、だんだんと一つにまとまっていく。
本当に、永遠亭の皆は私を探しているのだろうか?
そもそも師匠は、自分が帰ってこないことに気が付いているのだろうか?
姫様のことにかかりきりで、私のことなど忘れてしまっているのではないか?
涼やかな夜、冷たい穴の中で、鈴仙は嫌な汗をかく。
拭われることもないその雫は額から鼻筋を伝い、顎を流れて地に落ちた。
心が、不安で覆われていく。
この穴に落ちて以来、感じ続けてきた不安。
それが、時間を追うごとに焦燥と絶望を加味して、鈴仙の胸の中膨らんでいく。
「……………」
自分がいないことなんて、永遠亭の誰も気が付いていないのかもしれない。
気が付いていても、大したことではないと無視されているのかもしれない。
放っておけば帰ってくるだろう、と軽く見られているのかもしれない。
あいつがいないほうが気が楽だ、とでも思われているのかもしれない。
「……………」
馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい。
胸の内でそう繰り返してみるが、一方で不安は暴走を続ける。
この穴に落ちて、身動きが取れなくなって、頭の中、想像力だけはやたらとたくましくなってしまっていた。
先月の宴会の席のことを思い出す。
輝夜は大騒ぎしている因幡たちを愉快そうに眺めていた。
永琳は輝夜の横に侍り、目を細めてやはり因幡たちを眺めている。
てゐが一人だけ多く盛られた御馳走をおいしそうにいただいている。
騒がしくも楽しそうな永遠亭。その住人たちの揃った大広間。
そのなかに、鈴仙の席はない。
「……………」
こんなものは妄想だ、と鈴仙は自分に言い聞かす。
先月の宴会では自分の席は確かにあった。
姫様のそばにいたとき、師匠に好きに楽しんでくるよう言われた。
てゐに御馳走のことを指摘して、なんだかよく分からない理屈で丸め込まれた。
その記憶は、確かに残っている。
それなのに、
鈴仙の思考はマイナス方向に向かったまま、止まってくれはしない。
「………あぁ……そういえば、よそ者なんだよね、私……」
ふと、思い出した。
いや、思い出したと言うほど忘れていたわけではない。
考えないようにしていただけ。
考えたくなかったから、考えて来なかっただけ。


因幡たちはイナバである自分に懐いてくれない。
鈴仙は永遠亭の中で唯一、月の兎。
自分の立場の弱さくらい、気付いている。


もはや逃げ出した月に帰ることもできず、
地上の兎達となじむこともできず、
誰かのために死んでしまうようなうさぎ達の中で、
誰のためにも死ねなかったうさぎの末路は、


「逃れ逃れて……墓穴に到る、と……」
笑えない、冗談。
結局のところ、自分は逃げてさえいなかったのかもしれない。
逃げているつもりで、体よく追い出された。
月から、永遠亭から、そして………この世から。
逃げたうさぎが行き着いたのは、直径1メートル程度の穴。
穴の中に、かすかに光が差してきた。
竹の葉にからめとられた籠目の空に、満月が見える。
埋もれた自分を見下すように、嘲笑うように。
「…………」
月で、仲間のために死ねなかった。
死ぬのが、怖かった。
戦うのが、怖かった。
うさぎは誰かのために死んでしまうような種族だと言う。
それなら、自分のような死を怖がるうさぎは異端中の異端なのだろう。
「…………………」
自分の居場所は、どこにもない。
外にいようが、穴の中にいようが、その事実は変わらない。
ここで穴に落ちなかったとしても、いずれは同じような結末を迎えていただろう。
居場所がないのなら、この世界から追い出されてしまうしかない。
「………………………でも……」
視界が滲んだ。
自分がなぜ泣いているのだか分らない。
悲嘆、郷愁、感傷、絶望。いずれにも当てはまりようがない感情をもてあます。
ただ…………今、思うことは一つ。
「……………もう少しだけでも………生きて、いたかったな………」
姫と呼ぶ、永遠亭の主に、
師匠と呼ぶ、永遠亭の頭脳に、
そして、渋々ながらも従ってくれた、因幡たちに、
何のお礼も告げていないのに。
何の恩も返せていないのに。

こんなところで死んでしまったのでは、勝手すぎる。
ハッピーエンドでも、バッドエンドでもない。中途半端な幕切れなんて、無様すぎる。


「死にたく、無いよぉ………」
涙は止まってくれず、視界は完全に涙の中に潰れた。
例え皆が自分のことを必要としていなかったとしても、
自分は皆のことを必要としていた。
永遠亭で、生きていこうと、そう思えたのに。
もう逃げない、と、決めたはずなのに。
こんなエンディングにもならない終わりは嫌だ。
「助け、て、下さい。助けて………」
嗚咽にまみれた声で、必死に助けを呼ぶ。
月は、こんな自分を嘲笑い見下しているだろう。
別に、それでも構わない。
どんなに無様だろうと、自分は生きていたい。
このまま死んでしまえば、自分は結局逃げ続けの一生だ。
そんなのは、いやだから。
生きていたいから。
涙でぐしゃぐしゃになってしまった声を張り上げて、助けを呼び続ける。





「―――――鈴仙様?」



「大丈夫ですか? どこかお怪我は?」
「ううん、心配ないわ。大丈夫」
てゐが、鈴仙の服についた泥を払い落そうとする。
長時間埋もれていた分の汚れはそう簡単に取れてくれそうもないのだけど。
鈴仙も、てゐも、互いに目を合わそうとしない。
鈴仙としては先ほどまで泣きじゃくっていたところをてゐに目撃されてしまったわけで。
自分でやったこととはいえ、こうして助かった後になるといろいろと気恥しい。
てゐも鈴仙のことを気遣っているのか、どこかよそよそしい態度だし。
「すいません、鈴仙様。今日は姫様が永遠亭上空で戦闘を始めてしまって、屋敷中大騒ぎになって気がつかなかったんです」
「そう。別に謝らなくてもいいわよ」
先ほどまで助けてと泣きじゃくっていたくせに、謝らなくてもいいとはよく言えたものだなぁ、と自分のことながら呆れる鈴仙。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙。
せっせとてゐはごまかすように服をはたき続けているが、汚れは微塵も落ちる気配がない。
とりあえず、今話題にできそうなこと…………
「そういえば、なんでこんな不自然な穴があったのかしらね?」
多少の自爆覚悟で、鈴仙が言ってみると。
てゐの身体が、ビクン、と震えた後その動きをとめた。
「…………え?」
「……………」
鈴仙がてゐの顔を見降ろすと、てゐはぷいとあからさまに目を背ける。
気まずい沈黙。
「………てゐ、何か知っているの?」
「い、いえいえ、なんのことやら、そんな穴のことなんて全然全くちっともこれっぽっちも完膚なきまでに知りませんとも」
「…………」
「…………」
……怪しい。
「てーゐ?」
鈴仙は、がっちりとてゐの頭をつかむ。
てゐはじたばたと慌てて振りほどこうとするが、体格の差があり、そう簡単には解けない。
「知ってるのね?さあ、言って御覧なさい」
「…………言っても怒りませんか?」
「努力はするわ」
にっこり、とこの上ないであろう笑みを浮かべて見せる鈴仙。
欺瞞で最高の笑顔ができると言うのは立派なスキルだと思っている。
てゐは冷や汗をだらだらと流しながら、鈴仙に向き合う。
「……あの、ですねぇ。以前、鈴仙様を案内する時に、この道を通りましたよね?」
「通ったわねえ」
「その時にですね、こう、まあ、ちょっとしたいたずらを仕掛けてみようと思いまして」
「へえ」
「それで、ですね。落とし穴を仕掛けることにしたんですよ」
「ふんふん」
「因幡たちを使って掘らせてみたら、思いのほか深い穴が出来上がりまして、それで、こう、なんですか、ひっかけてやろうかと」
「それで?」
「でもですね、あの、何ですか、ホラ、当日、鈴仙様も私も飛んでいて、落とし穴に引っかかるはずもなくて」
「そうねぇ」
「それで、その、あの、何と言うか、えー、その落とし穴なんですが、そのまま忘れたと言うか、放置していたと言うか」
「………それが、この穴だと?」
「ええまあ平たく言ってしまえばそうなるわけで痛い痛い頭が痛いです鈴仙様!」
「ごめんなさいね。私、怒ると力加減がコントロールできなくなるの」
「そんな告白をこんな時にされても何の解決になりませんて痛い痛い!!」
ギリギリと頭を締め付ける力を弱めてやる。
じたばたともがいていたてゐも、少し大人しくなった。
もっとも、頭のロックを外してはいないので、てゐの運命は今も鈴仙の手のうちなのだが。
「……てゐ、私、今とてもいいお仕置きを思いついたのよ」
「お仕置きですか。ええ、あの、そういうことはいったん永遠亭に帰ってから改めてということでどうでしょうか」
「駄目よ、私、もう我慢できないもの。さ、目を閉じて」
「いや、あの………何をするんですか?」
「大丈夫、痛くはないと思うから………多分」
「その言葉のどこにも安心できる要素が無いんですけど痛い痛い分かりました分かりましたから!」
少し締めてやると、てゐはとたんにおとなしくなり観念したように固く眼を閉じた。
これから来るであろう折檻に対しておびえているのか、震えているようだ。
鈴仙は、そのてゐを見て、ふ、と笑って


「ありがとうね、地上のうさぎさん」

てゐの頭、ふわふわとくっついている耳にキスをしてやった。
唇を通して感じる耳の感触は、思ったとおり温かく、柔らかだった。







「あとがき」と書いて「無法地帯」と読みます。


うどんげはいじめられっ子だと思います。作者の勝手なイメージですが。
と、言う訳でいじめられっ子の神髄を模索してみたところ「セルフいじめられっ子」が思いつきました。
放っておいても勝手に自分で自分をいじめます。はいそこ、「それただの自傷癖じゃね?」とか言わない。

内容的には作者のうどんげへの愛が45% てゐへの愛が50%
ごめんなさい、てゐのほうが好きなんです。残り5%は……マイナスイオンあたりでよろしく。